高齢者てんかん という病名を聞かれたことはありますでしょうか?認知症によく似た症状のため、なかなか気づかれず生活に混乱を巻き起こす病気です。私の母は高齢者てんかんになりました。合う薬が見つかれば穏やかに暮らせるようになりました。早めに診断がされ、治療が開始されることで生活を取り戻すことが出来ると思いますので、下記、私と母の体験談を記しています。どなたかのお役に立てましたら幸いです。
高齢者てんかん 母の場合
母は亡くなる前の最期の8か月間 高齢者てんかんを患いました。高齢者てんかんは、まだあまり世間では聞かれない病気です。認知症とは違うようですが、認知症との関連が示唆されている病気です。まだ診断される人も少ないようで、高齢者てんかんに詳しい病院にかからないと見つけてもらえないかもしれません。また、ネットで探しても出てくる情報は ほかの疾患と比べて極端に少なかった事にも驚きました。
幸い、母のかかりつけの大学病院に「てんかん外来」が作られた所だったため、母はすぐに高齢者てんかんと診断が下されましたが、それでも紆余曲折がありました。
高齢者てんかんの症状
まず最初に出た症状は、時々ぼうっとする、時々失禁する、でした。というのも、高齢者てんかんといっても「てんかん」には違いないため、ある時 急に発症するのです。普通に過ごしていたのに、突然に意識が飛び会話が出来なくなる、記憶が無くなる、それが数分か数十分続き(その時に寄って時間は異なりました)その後 元に戻るのです。
高齢者てんかんと診断されるまで
高齢者てんかんではないか?と診断された後、たまたま一か月間、母はあまり症状が出ませんでした。その為、ほかの疾患(心臓の徐脈がありました)の影響で似たような症状が出たのかな?とも思われました。とはいえ、ペースメーカー留置手術を終えたのちも、怪しい記憶の飛び方がありました。それ故、脳波の検査も受けました。しかし検査では 高齢者てんかん特有の脳波は出なかったようです。念のため、高齢者てんかんの薬は服用し続けることになりました。
次の診察の際、薬が変更になりました。しかしどうやらその薬は母には合わなかったようでした。てんかんの薬は脳の為の薬なので、合わない時には大変。母は娘の私が分からなくなり、私を「娘ではない」と言い張りました。「内緒だよ。娘が嫌いなのよ」と私に向かって私の悪口を度々ました。これは辛かったです。
また失禁の回数は増え、私の話を理解することが難しくなる時が頻繁に起こるようになりました。当時は別居でしたのでアレクサを用いて会話をすることも多かったのですが、話は通じず、薬はもちろん自分で理解することは出来ず、一人では薬の管理が全くできなくなりました。生活の大部分において私の介助が必要になりました。
高齢者てんかんの母との日々
母の為にと思い頑張り続けた毎日でしたが、そのうち どうしても口げんかが増えてくる。そして娘の私を娘と理解せず、こっそりと私に「実は娘はキライなの」と教えてくれる母。私にはとても辛い毎日、そして大人げないですが腹の立つ事の多い毎日となりました。
それが繰り返される事で、母は益々「娘の私」を嫌いになりました。そこまで来ると、かかりつけの先生の診断は、「やはり高齢者てんかん」だろうとなりました。また薬の副作用で、てんかん症状が悪化したと思われるので、最初の薬に戻すことになりました。
そしてようやく母の症状が治まり始めました。そこまで丸5か月かかりました。
薬について
てんかんの薬を飲まないと、また母とケンカの日々が来てしまう。しかし持病で沢山の薬をすでに服用していた別居の母にとって、もうすでに薬の管理は無理でした。
数か月分の薬が全部消えてしまった事もあります。慌てて車を40分走らせ母の自宅に行き、数時間かけて家の中の探し回り見つけたこともありました。高齢者てんかん以外にもたくさんの薬を飲んでいた母でしたので、最初は私が薬を一包化し、その後は薬局で一包化してもらったりしていました。しかし最終的にお薬ロボットを使いました。
一人暮らし高齢者「お薬の服薬間違い」を防ぐ介護ロボット
どんな病気でもそうでしょうが、高齢者てんかんのお薬でも人により「合う薬と合わない薬」があるようです。前の記事で書いた父のレビー症候群の場合は、効く薬はだいたい決まっているのかもしれません。しかし、てんかんの薬の場合にはいろいろな種類があるため、合う薬を見つけるまでが苦しかったです。
母に合ったてんかんの薬が見つかるまでの日々は我慢の日々でした。でも合った薬が見つかれば生活に不自由はしなくなりました。ただ合う薬が見つかれば、なんとか生活は元に戻すことができそうだと、高齢者てんかんに関しても感じていました。
母の高齢者てんかんその後
合う薬が見つかったその1か月後、今度は母に末期のすい臓がんが見つかりました。あれよあれよという間に在宅介護となり、その2か月後 あっという間に母は亡くなりました。
今思えば、もしも高齢者てんかんの時に合う薬がまだ見つかっていないまま、すい臓がんの在宅介護になっていたとしたら・・。母と会話もままならず、ケンカもしながら、高齢者てんかんの症状が出ている中での介護となっていたら、その日々はもっと辛くなっていたと思います。
てんかん薬が効いていたので 母と会話が出来るようになったのちに 最期の時を過ごせたのは母にとっても私にとっても幸せなことだったと思います。在宅介護のお医者さんも、母が「高齢者てんかん」や「認知症」の類の疾患を持っているとは気づかなかった位まで、てんかん発作を抑えることが出来ていました。
母の高齢者てんかんの月日は今思えば8か月間です。長期的な症状に関しては分かりません。ただ、母の短い間の経験だけを言えば、薬が効けば誰にも知られず生活できたと感じました。実際近所の方にも、誰にも高齢者てんかんを知られることはなく亡くなりました。
父のレビー症候群の話でも書いていますが、認知症は薬が良く利くものが多いのかもしれません。なので少しでも怪しい症状が見え隠れしてきたら、なるべく早くお医者様に行って診ていただくのがよいかもしれません。合う薬が見つかるまで数か月かかる可能性があることも考えると、それまでの間、家族も辛いです。もちろん本人はもっと辛い事でしょう。
高齢者てんかんかな?と思ったら
高齢者てんかんは、意識のはっきりしているときと、ぼ~っとしているときがあります。傾眠にも似ているときもあるかもしれませんし、年を取ったから ちょっとわからなくなってしまったかな?位にしか感じない時もあるかもしれません。でも、明らかにおかしいと思ったら、高齢者てんかんの可能性もあるかと思います。
私自身も母を病院に連れて行った時、どんなにお医者さんに「母はぼ~っとしていつもと違うのです」とお話ししても、母がお医者さんや看護師さんの質問にしっかりと答えるので「どこがおかしいんですか?」と聞かれる事が多かったです。
脳神経内科の先生に診ていただいて、初めて私の言っていることを理解してもらえました。そしてやっと高齢者てんかんの疑いがあると分かりました。
それまでは私の話すことは理解してもらえず、孤独を感じました。高齢者てんかんを診断できるお医者様は、まだ限られています。もしも「しっかりしている時」と「訳が分からなくなっているとき」が交互に現れるような事があったら、ぜひ高齢者てんかんを診断できるお医者様に行かれてみてくださいね。
合う薬が少しでも早く見つかれば、少しでも早くご家族皆様が幸せに暮らせる時間がくると思います。