日本の人口において突出した人数を持つ世代「団塊ジュニア」世代が、続々と50代に入っていく時代となり、日本の介護は社会問題となっています。(ここを読んでくださっている方はお幾つですか?私は団塊ジュニア世代のTOPを走っている年齢です。)
日本は団塊世代が75歳になることで高齢化が急速に進み、2025年には全人口の18%を占めるようになります。今以上に介護人材の不足し始め、介護難民が増えるのではないかと思われるこの問題は「介護2025年問題」とも言われています。
ただでさえ、ヤングケアラーという若い子供たちが介護をすることも(してきた過去の時代も含め)介護は大きな問題となっている時代です。また一人っ子が親の介護をするという「家庭内人材不足」も深刻になってきています。人が老いるのは当然のことである以上、そして若い人口が極端に少ない以上、介護者となる可能性も、被介護者となる可能性もあるこれからの社会は 全年齢層において不安を抱えずにはいられません。
増してや、この国の医療費削減などにより そうそう簡単に入院させてもらえず、在宅介護が勧められる時代になっています。街のあちこちに在宅医療診療所が増えてきていることはお気づきかと思います。
私自身、数年前の父は入院させてもらえましたが、2024年に亡くなった母(父とは異なる病気ではありますが)は在宅医療となりました。一人っ子故、全てを一人で負う形となり在宅医療の医師の方、看護師の方、ヘルパーさん、ケアマネさん、福祉用具の会社の方などに助けていただきながらの日々は、有難く感じながらも心身ともに疲れ切った日々となりました。
姉妹サイト→在宅医療を進められる時代
在宅医療をするということ
全く介護に関して「ど素人」だった私が、すぐにオムツ替え、痰の吸引、服薬のさせ方などなどを覚えましたが、命と引換えに覚えていくその介護の経験は辛いものでした。私の手の中に私を生み育ててくれた母の命がかかっている訳です。初めてであり、もう命を終えるのが分かっている介護は、リラックスしてできるものではありませんでした。結果、慣れない介護で疲弊した私よりも、時間でやってくる穏やかなヘルパーさんを 母は自分の可愛がるようになりました。それが猶更のこと 娘として辛い介護生活となりました。
ある日突然「さぁ、介護お願いしますね」と病名とともに突然高齢の親を手渡される事もある介護。それは、びっくり仰天から始まることもあるかと思います。以前でしたらすぐに「入院しましょう」と言ってもらえた時代は、もう終わりました。もう助けられない命であれば、より家族が看なければならない時代が来たようです。
大事な家族が目の前で亡くなることは、最初は辛くて受け止められないと・・不安でいっぱい。とはいえ、在宅医療しか選ぶ道はないことも増えてくると思われます。私の場合、途中から入院することも検討されましたが、病床は一杯で入院できる日を待つよりも母の命の方が明らかに短いと思われました。そして実際その数日後に母は亡くなりました。息を引き取る瞬間までずっと一緒に居られたことは幸せだったかもしれません。とはいえ「凄まじい経験」でした。
介護難民が増える時代
これからやってくる2025年問題、そしてその後続いていく少子超高齢化の介護社会は、決して他人ごとではありません。何より怖いのが介護事業者の人手不足です。まだ今は在宅医療となっても助けてもらえるかもしれません。しかしどんどんと進む超高齢化社会において、今後どうなっていくのでしょうか?
私が当時一番困ったことは、在宅医療をする家族にとって情報が少なかったことです。ヘルパーさんやケアマネさん、福祉用具の方の情報以外に、意外と小さな欲しい情報が沢山ありました。そしてある日突然始まった介護においては、その介護をするのに精いっぱいで、知識や情報を調べる時間すらありませんでした。
だからこそ、介護が始まる前に知っておいた方が良いことがあります。良く言われますが、本当に介護は「ある日突然やってきます」。私の父も最初は一人で出かけたスーパーで転んだことによる大腿骨骨折から始まりました。今日、元気な高齢者が一人で出かけても、夕方には全く違う日々がやってくることがあります。高齢化社会ゆえ どんな事故などよりも「ある日突然介護の日々」が起こる確率は高いのです。
介護は他人事ではない時代になりました。少子高齢化社会の2025年問題「介護の人材が不足」「介護難民が増える」と言われている時代はもうすぐそこまで来ています。知識は持っているに越したことはありません。積極的に情報を取りに行くことは、すぐそこにある未来の自分を助けることになります。
父母を亡くした私自身は、今度は子供に私と同じ思いをさせないように、そして私より年上の主人の介護が始まった時には、主人に辛い思いをさせないように、情報収集をしていきたいと思っています。