日本の認知症高齢者の数は、2025年には約 700万人、65 歳以上の高齢者の約5人に1人に達することが見込まれています。認知症による社会的・経済的な負担が増大し、様々な分野に負担を与えると予想されています。
私の父はレビー症候群、母は高齢者てんかんを経験しています。(高齢者てんかんは、てんかんという名がついていても、症状は認知症に近いです。またまだ診断されている患者数も少ないようで、高齢者てんかんを看てくださる病院も数少ないようです。)二人とも診断がつくまでは大変な日々でしたが、薬が効き始めてからは普通の生活を送ることができました。
私にとっては必死の毎日の連続でした。ただ、薬は良く利いた方かもしれません。しかし私自身も父母の認知症による介護などでの 私の人生における各種損失があったことは否定できません。着々とやってくる介護、認知症2025年問題を前に、少しでも介護者の心が助けられる世の中になればいいなと願っています。
認知症は、同じ病気でも人それぞれ病気や体調は異なるかもしれません。色々経験や考えは異なることがあると思いますが、下記に父のレビー症候群で起きた症状についてまとめてみました。母の高齢者てんかんは、また次の記事でお話ししています。
父のレビー症候群
最初に気づいたのは、母でした。「なんかね、お父さん洋室で誰かと話しているのよ」。そう母から聞いたのが始まりでした。何を言っているんだろう?と全く意に介さなかった私ですが、事態は着々と進んでいきます。
それまでも歩き方がおかしかったので、持病でかかっているお医者さんに、パーキンソン病を疑われたことがありました。しかし父の症状はパーキンソンには合いませんでした。
ある日、私が実家に帰ると父が言いました。
父「今日、○○(←孫の名)うちに来てたよな?」
私「えっ?き。。来てないよ。私の家に○○は居るよ」。
またある時は、
父「うぁぁぁ!虫がいっぱいいるよ、そこに!」
私「えっ?虫?、虫なんていないよ」
そのうち以前にも増して 歩き方も前につんのめるようになり、ゆっくり歩けなくなりました。まるで坂道を転びそうになりながら感じで歩くのです。前のめりに転倒する危険性をはらむ毎日でしたし、実際 転倒し、通りがかりの人に助けられて家まで送られてきたこともありました。
また、怒りっぽくもなりました。そしてなんせ居ないものが見えると頻繁に言う。調べていると、認知症の一つであるレビー症候群の症状とぴったり合いました。どうやらその見えるものは「幻視」というようです。本当にありありと本物と同じく立体的にみえるようなのです。なので本人が見えたものを話すときなどは、決して否定してはいけないようで、寄り添ってあげながら不安などがあれば解消してあげるのが良いと知りました。
父がレビー症候群の診断を受ける
私はレビー症候群に強いお医者さんに父を連れて行きました。連れていくと言っても認知症の怒りっぽい父を、医者に連れていくのは一筋縄ではありません。やっとこさ機嫌のよさそうな時についていき、診断してもらうとやはりレビー症候群とのこと。
もう父が亡くなった今は記憶があいまいなのですが、薬はアリセプトという名前だったと思います。またその他に 腕に貼るパッチの薬も初期のころにはつけていました。貼る薬で認知症が治るのか?とても不思議でしたが、思いのほか みるみる効いてきました。幻視を見る回数は極端に減ってきたようでした。
父は腎臓が悪く週3回の透析をしていましたが、その透析室の看護師さんたちにも 父が命を終えるまで認知症であることは気づかれませんでした。(何故透析の看護師さんがたが、父の認知症に気づかなかったのか?は不明です。薬を透析施設から出してもらうよう、レビーのお医者さんから情報提供がされたのですが。父は問題を起こさず、普通に生活をしていたので、私自身も敢えてお話しする機会はありませんでした)
しかし認知症でないと思われても、実際には怒りっぽくもなりましたし 家族は父の対応に てんやわんや。父が認知症だと思われない代わり、父と意見が合わなかったりした際、娘の私が、看護師さんからは悪者ではないかと疑われてしまう事も多くなりました。ちょっと辛かったですが、それでも父が認知症であることは父の尊厳を守るために、必要が無い限り誰にも話をしませんでした。
レビー症候群 服薬して数年後
薬を飲み始めて数年後、ある時、入院した病院で父の認知症の話が出ました。その時父は目を丸くして「オレは認知症なのか?」と聞いてきました。「そうだよ。たくさん飲んでいる薬の中にその薬が入っているよ。でも薬飲んでいれば何も普通の人と変わりないよ。誰も気づいていないよ。」と伝えたのです。すると父は「俺は認知症なのか・・そうか、認知症なのか・・」とちょっと寂し気な表情を浮かべました。
またある日突然、壁を見て「うぁぁあ、小さな虫がいっぱい」と再びおびえたこともありました。薬を数年間 飲んでいるのにまた症状が出始めたことを不安に思っていた矢先、父は脳出血で倒れ一か月後、帰らぬ人となりました。もしもあの後、脳出血を起こさず命が保たれていたら..おそらくレビーの薬の量が増えたかもしれません。父はレビーと診断されてから数年、レビーの薬の量が増えることはありませんでしたので、父の場合は進みも遅かったのかもしれません。
ただ、命ある間、父は幸せに暮らせたと思います。自分が認知症になったことを知れば、誰でもきっと不安でいっぱいになることと思います。それを感じずに最期まで暮らせたのですから。現代の医療とお医者様には感謝の気持ちでいっぱいです。
そうしてレビー症候群の薬を服用していたことで、父は発症してから亡くなるまでの数年間ものあいだ、近所の人にも認知症と知られず 息を引き取りました。本当は、認知症の診断を受けているときに「認知症です」と言われているのですから、それに気づかぬはずはありません。
認知症と言われたのに「認知症であることを診断後すぐに忘れ」「何の薬か分からず飲み続け」「本人も生活に困ることなく、認知症と知らずに亡くなったこと」は、考えようによっては、まわりまわって認知症だからこその幸せだったかもしれません。カッコつけで、人一倍プライドの高かった父は、実は自分自身も認知症だと実感しないまま 最期を迎えることが出来ました。
レビー症候群 父の場合
人それぞれ異なるとは思いますが、レビー症候群は、とても薬が良く利く認知症かもしれません。もしも幻視があったり、歩き方が前につんのめって足が止まらなくなったりした場合には、認知症(レビー症候群)を疑って、出来ればレビーに強いお医者様にかかられることをおすすめします。きっとお薬が良く利いて、日常生活を再び送れるようになる日が来る可能性は多大にあると思います。
認知症になっても、お薬のおかげでそれ迄と何ら変わりない生活ができる可能性があります。ご家族皆様の幸せな日々となりますように。レビー症候群の症状と体験談をここに書いてみました。もしも、私の体験がどなたかのお役に立てたら幸せに思います。