介護をしていると、心のどこかで、たった一つだけ欲しくなる言葉があります。
「ありがとう。」
たった五文字。それだけで、疲れが少し軽くなる日があります。「頑張ってよかった。」そう思える日があります。
でも、介護が長くなるほど、その言葉を聞けなくなることがあります。私も、何度も、「ありがとう」の一言が欲しいと思いました。
「ありがとう」がないと自分を責めてしまう
介護は、終わりが見えない毎日の積み重ねです。食事を作る。病院へ行く。薬を管理する。夜中に起きる。洗濯をする。
その一つひとつは小さく見えても、積み重なると、人生そのものになります。だからこそ、「ありがとう。」その一言が聞けないと、「私のやっていることは意味があるのかな。」そんな気持ちになってしまいます。
老いは「感謝する心」を失うのではない
ここで一つ、私が知って救われたことがあります。高齢になると、認知症だけでなく、脳や身体の変化によって、思っていることを言葉にする力が弱くなることがあります。感情を整理する力も、少しずつ変わっていきます。
だから、心の中では感謝していても、その気持ちを言葉にできない人もいます。もちろん、すべての方がそうではありません。でも、「ありがとうが言えない人」ではなく、「ありがとうを言葉にすることが難しくなっている人」という見方もある。
それを、私は介護が終わってから知りました。
「当たり前」になってしまうことも
人は、毎日続くものほど、そのありがたさに気づきにくくなることがあります。朝になれば太陽が昇るように、毎日そばにいてくれる人の存在も、「いて当たり前」になってしまうことがあります。
介護を受ける親も、毎日助けてもらうことが日常になると、感謝を忘れたというより、言葉にする機会を失ってしまうことがあります。
本当は、一番近くにいる人へ言うべき言葉なのに
少し皮肉なことですが、たまに来る人には、「ありがとう。」と言えるのに、毎日そばにいる家族には言えない。そんなことがあります。
私は、それがずっと悲しかった。でも今思うと、毎日支えてくれる存在が、あまりにも日常になっていたのかもしれません。だからといって、介護者が傷つかなくていい理由にはなりません。「ありがとう」が欲しかった。その気持ちは、とても自然なことです。
介護における「ありがとう」の価値
もしあの頃、「ありがとう」と言われないことを、自分の価値と結びつけなかったら。もし、「親は感謝していない。」ではなく、「言えなくなっているのかもしれない。」そう考えられていたら。私の心は、もう少し軽かったかもしれません。でも当時はとても納得がいかなかったものです。
もし今日も、親から感謝の言葉がなかったとしても、どうか、あなたまで自分の頑張りを否定しないでください。
あなたが作ったご飯。あなたが付き添った病院。あなたが眠れなかった夜。あなたが流した涙。
そのどれもが、「ありがとう」の一言だけでは測れないほど大きな愛情です。言葉にならなかった感謝は、きっとどこかに落ちているかもしれません。
もし最後まで聞けなかったとしても、あなたの介護の価値が失われることは決してありません。あなたは、十分すぎるほど、親を支えてきたのですから。
介護をしているあなたへ
もし今日は誰からも「ありがとう」と言われなかったなら、代わりに私が伝えます。
ありがとう。今日も親のそばにいてくれて。
ありがとう。今日もあきらめずに向き合ってくれて。
ありがとう。今日も、苦しい気持ちを抱えながら歩いてくれて。
介護をしていると、誰かを支えることばかりで、自分が支えられることは少なくなります。だから今日だけは、この言葉を、そのまま受け取ってください。
本当に、お疲れさまでした。
そして、
ありがとう。


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